坐禅スタイルで江田住職の話を聞いているうちに、そもそも「禅」って何だろう?という疑問がわいてきました。
「皆さんは、禅には坐禅のような独立した修行法があると思われるかもしれませんね。確かに坐禅は大切な修行ですが、朝起きること、顔を洗うこと、トイレに行くこと、食事を戴くこと、お風呂に入ること、眠ることも、坐禅と同様に大切な禅の修行なのです」(江田住職)
なるほど……何も特別な修行ばかりが「禅」なのではなく、日常生活で自分がその時にやるべきことに集中するのも、禅の大事な修行なのですね。
江田住職は、自分を整える大切さについて、熱心に話されます。
「『正しい』という字は、一度止まる、と書くでしょう。最近流れているニュースを見ていると、怒りを抑えられず、止まれない人間ばかりですよね。一度止まって、そこで初めて正しい判断が下せるんです。自分を整えることができるのは、自分だけなんですよ。坐禅を組んで姿勢が整うと、呼吸が整う。呼吸が整うと心が整って静かになる。心が静かになって、そこで初めて正しい判断が下せるんです」
姿勢・呼吸・心を整えることができる坐禅ならば、心と体のアンチエイジングにもいいかもしれない! そう思ってお話を聞いていたところ、江田住職はこう続けました。
「曹洞宗の坐禅は、目的や期待を一切認めないのです。日々の生活の中で淡々と自分を整えていたら、たまたま集中力がついた、健康になった、長生きになった、それだけのことです。それは付録でしかないんですよ」
目的や期待を認めないのなら、何のために坐禅するのでしょう?
「その答えは、自分で実際に座って姿勢・呼吸・心を整え、実践し体得して導き出すしかありません。他人が実践し体得して出した答えは、自分の答えにはならないからです。禅について知りたければ、本屋に行けば沢山本は売っています。でもそれは頭の中の知識でしかない。実際に坐禅を組んで呼吸を整えてみなければ、その時の心のありようは分からないんです。そして、その心のありようが日常の隅々にまで活かされなければ、坐禅をしても何の意味もないのです。1日5分でも3分でもいい、毎日座ることを続けて、少しでも自分と向き合う時間を作って下さい。何も坐禅にこだわることはありません。自分の個性に合った自分の整え方を見つけて欲しいですね」 |