今では「暦」といえば西暦が当たり前ですが、日本で明治5年(1872年)までは太陰太陽歴(二十四節気)で時節を表現していました。立春、夏至、秋分、大寒とかの言葉を持つ暦です。この太陰太陽歴は月の動きに太陽の1年の動きを含ませて作られたもので、西暦と大きく概念が異なるもの。太陰太陽歴はいわば生活リズムに密着しやすい暦だったので、それにともなって月や太陽への人々の意識は高まるし、そこに情緒も生まれるし、日常生活の中にも大きく入ってくるし...で、 人々にとって月が身近な存在であることは普通のことだったようです。
月が満ちていき見えなくなるまでの月の姿に、なかなか趣深い呼び名が当てられています。西暦2010年1月のカレンダーに沿って紹介しますね。 |