まず、文楽とそのルーツについて、ごく簡単にふれてみましょう。
「文楽」とは、江戸時代に花開いた、義太夫(ぎだゆう)節に合わせて演じられる人形浄瑠璃の通称です。1955年に重要無形文化財に指定された日本の伝統芸能で、男性によって演じられます。
文楽の大きな特徴としては、「三業」と「三人遣い」が挙げられます。
●三業……1体の人形を3人で遣い演技をする「人形遣い」、登場人物全てを語り分ける浄瑠璃語りの「太夫(たゆう)」、そして太夫の語りに合わせて情緒や情景を表現する「三味線」が三位一体となって文楽が成り立つ。
●三人遣い……主遣い(おもづかい)が首と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を操り、主遣いの合図で呼吸を合わせて人形を操る。通常、黒衣(くろこ)姿で演じられるが、重要な場面では主遣いのみ顔を出すことがあるため、主遣いは「出遣い」とも呼ばれる。
人形遣いの元祖は、「百太夫(ひゃくだゆう)」という神官だそうです。
兵庫県西宮市にある西宮神社には、昔、道薫坊(どうくんぼう)という方がおり、蛭子(えびす)神に気に入られていました。しかし、道薫坊が亡くなると蛭子神を慰める者がいなくなり、海が荒れました。そこで、百太夫が道薫坊の人形を作って舞わせたところ、豊漁になったとのこと。以来、百太夫はこの人形を持って全国を巡業したそうです。
百太夫は傀儡師(かいらいし:諸国を旅して人形を舞わして見せる大道芸人)として淡路島にも巡業に訪れ、1軒ずつ門付け(人家の門口で歌や踊りを演じ、金品をもらうこと)して人々に人形を伝えたそうです。それが、淡路人形の始まり。徐々に人形遣いが増え、18世紀初頭、淡路島には44座も人形座があったとのこと。
1800年代初頭、1人の人形遣いが淡路島から大阪に渡ります。文楽の創業者・植村文楽軒です。文楽軒は後に「文楽座」を建て、それ以降大阪でも文楽が広がり、技が磨かれて行ったということです。
それでは人形遣いになったきっかけから、桐竹紋寿(きりたけもんじゅ)さんにお伺いしていきましょう。
- 紋寿さん:私は昭和9年生まれですが、12歳だった昭和21年11月頃に、人形の稽古を始めたと記憶しています。といいますのは、昭和23年11月3日に赤坂御所(現・赤坂離宮)にて、阿波人形清光座が御前公演をすることになり、私が「おつる」役に抜擢されたからです。
徳島に相応しい外題(題名)といったら『傾城阿波の鳴門・順礼唄(けいせいあわのなると・じゅんれいうた)』なのですが、それに登場する「おつる」という役は、年寄りが遣ったのでは可愛らしさが出ない。そこで、子供にやらせようということになり、私に白羽の矢が立ったのです。私の義母が唄や踊りを教えていたため、私も自然と真似するようになり、11歳頃には連長として徳島の阿波踊り大会に出ていたので、恐らく目立つ子供だったのでしょうね。
御前公演より少し前の昭和23年3月末に、文楽座は三和会(みつわかい)と因会(ちなみかい)の二派に分かれていました。
- 御前公演のことをご存知だった、三和会の二代目桐竹紋十郎師匠が「人形遣いの数が足らん。やってみる気はないか?」と、淡路島まで来てくださいました。それで、人形遣いの道に入ったというわけです。
昭和25年2月末に紋十郎師匠の内弟子になったのですが、その晩の夜行で九州の巡業に連れて行かれました。当時、三和会には劇場がありませんでしたから、巡業しかなかったのです。私は汽車や船などの乗り物が好きでしたから、巡業は嬉しかったですけどね。
紋十郎師匠が女方で有名な方で、「わしの弟子になるんやったら、女方に切り替えて勉強せい」とおっしゃったので、それまで男役の人形も遣っていましたが、女方をやり始めました。
人形遣いの修行は「足遣い10年、左遣い10年」と言われるそうですが……紋寿さんは何年修行されたのですか?
- 私は長かったですよ。内弟子を16年続けましたからね。淡路人形の癖がなかなか抜けませんでね。紋十郎師匠に「全部忘れろ」と、よく言われたものです。
昭和38年に三和会と因会が合併し、大阪・道頓堀に朝日座を建てましたが、お客さんが入ったのは最初だけ。二派に分かれていると、それぞれにひいきの客ができていたんです。お客さんが入らなければ給料も入らず、厳しかったですね。
16年も内弟子を続けるとは、並大抵のことではないと思いますが……。修行をやめたいと思ったことはないのですか?
- ありますよ。思うように人形を遣えないのが嫌でね。自分が悪いのであって、人形が悪いわけではないんですけど、人形の顔を見るのも嫌になって。
父親の友人が社長をしていた関係で、淡路交通というバス会社で働いたこともありました。「観光客に見せるために、人形を遣う舞台を洲本駅の駅ビル屋上に作ってあげる」というので入社したのです。売店やレストランの営業部長という肩書きで働きました。文楽のわずかな給料に比べて、会社の一月の給料は「えっ、こんなにくれるの!」というくらい高い。6ヶ月ほど働いて、ボーナスも2回もらいました(笑)。
それでも文楽に戻ったのには、師匠の一言があったそうです。
- 紋十郎師匠が淡路にわざわざ来てくださって、一言「お前、いいかげんに大阪に帰って来いや」と。私は中学校にもあまり通っていませんから、サラリーマンなんて所詮勤まらない。ひたすら伝票に判子を押すだけの毎日です。「これではつまらないなぁ」と思いながら働いていましたので、「はいっ、お願いします」と師匠に即答して、大阪に戻りました。大阪に戻って、また一からやり直しです。
以来、人形遣い一筋の人生を歩んで来られた紋寿さん。その業績が認められ、2004年春の褒賞で紫綬褒章を、2009年秋の叙勲で旭日小綬章を受章されるなど、数々の受賞歴をお持ちでいらっしゃいます。
文楽ならではの人形遣いの難しさ・やりがいについて、続けて紋寿さんにお伺いしてみました。
- 歌舞伎役者さんは、台詞も踊りも全部覚えなければならないから難しいでしょうが、人形遣いは太夫に合わせてやらなければいけませんから、これも難しい。何もしゃべらずに、お客さんに動きで伝えるのですから、本当に難しいです。
3人で息を揃えて人形を遣うのも、やはり難しいのでしょうか。
- 難しいですね。太夫は自分の声で語り、三味線は自分一人で弾くのに、人形は1つの人形に3人がかり。みんな気性が違いますから、それを合わせるのが大変です。でも、3人の息がピタリと合った時に、人形が生きた人間のように見えるのです。
同じ役であっても、人形遣いによって雰囲気が違うのでしょうか?
- 人形の役の動き自体はあまり変えられませんが、やはり一人一人違いますね。自分の人生経験が、人形にも投影されるのです。「私の遣っている人形の役こそが本物や」ということはありません。人形の動きをその役らしく見せるために、みんなそれぞれ勉強しているのです。
男性が女方の人形を遣うのは、難しいのでしょうか?
- 歌舞伎と違いますので、それはないですが、私は紋十郎師匠に「常日頃見本がある」と言われていました。例えば、お茶屋にお呼ばれに行きますよね。そうすると、仲居さんの振る舞い、芸者さんの振る舞い、舞妓さんの振る舞い、女将さんの振る舞い……見ていたら全部違うやろ、と。それを人形に活かせというのが、師匠の教えでした。
電車に乗っていても、前に座っているおばあさんの仕草を見て、「品のええおばあさんやな」とか。子供でも落ち着きのない子、大人しい子。それらを観察して、役の中に加えていくわけです。「それが修行だ」、と。そのうちに「この役が良かった」と言ってもらえる役を、一つでも二つでもいいから作ったらええねん、と言われましたね。
文楽の人形って、重そうですが……?
- 日本酒の一升瓶を逆さまにして首の部分を握ると、ちょうど人形の頭の胴串(どぐし:人間の首骨にあたる)くらいの重さがあるので、練習にそれを持つようにしています。鉄アレイでは、人形の胴串と形や動きが違いますから、やはり一升瓶です。日々、そういう苦労はありますね。
楽屋で実際に人形を持たせていただきましたが、思ったよりも大きくて重い! この日紋寿さんが遣われた『嬢景清八嶋日記』の「肝煎左治太夫」という役は、男の人形なので比較的軽めですが、女の人形だと、重いものでは12〜13キロくらいになるそうです。滑らかな人形の動きは、日々のたゆまぬ鍛練があってこそ、なのですね。
モンナージュスタッフ中澤も、人形を持たせて頂きました。結構大きいでしょ?
思い入れのある役は? とお伺いしたところ、紋寿さんは「政岡」という役を挙げられました。
- 私は『文楽・女方ひとすじ』(東方出版)という本を出させていただきましたが、その本の副題が「おつるから政岡まで」。おつるは私が最初に遣った人形の役、政岡は『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』という外題の役です。
政岡という役はとても難しい。歌舞伎にも同じ演目があり、国立劇場大劇場で6代目中村歌右衛門さんが政岡を演じられるというので、紋十郎師匠と一緒にご挨拶に行ったことがありました。その時に歌右衛門さんが「紋十郎師匠は、政岡役で文部大臣賞を受賞された。私も同じ役をやっていますが、この政岡という役は難しい、えらい役ですな」と、紋十郎師匠と2人で話し合っているのを聞きました。難しい女方の役は数多あれど、文楽・歌舞伎を通じて、この政岡ほど難しい役はないのではないでしょうか。
政岡が登場する『伽羅先代萩』の大まかなあらすじは、下記の通りです。
●「伽羅先代萩」のあらすじ
政岡は、幼くして奥州五十四郡の領主となった鶴喜代の乳母。鶴喜代の幼さにつけいって、お家を奪おうとする源頼朝。その使者として梶原景時の妻・栄御前が、毒入りの菓子を持って鶴喜代の見舞いに訪れます。毒味役として菓子を口にした政岡の実子・千松は苦しみ出し、共謀者の八汐は毒入りであることが露見しないよう千松を刺殺します。息子の死に顔色を変えない政岡に、栄御前は「政岡が鶴喜代と千松を入れ替えた」と思いますが、それは若君への忠義のため。栄御前が去った後、政岡は息子の亡骸を抱いて慟哭するのでした。
政岡役の人形を遣う際に、特に難しいことは何でしょうか。
- まず、動きが難しい。「ああ、政岡はこういう人物だったのか」と、お客さんに思わせるような動きをしないといけませんからね。歌舞伎の中村歌右衛門さんも「政岡がやれたら、『恋女房染分手綱』の「重の井」など、同じような役柄が軽く感じられるようになる。政岡ほど重い役はない」とおっしゃっていました。
それに、我が子を殺されているのに、母親がじっと堪えているという、その腹芸(せりふや動作を抑えて、心情や感情を表現すること)が難しいのです。政岡という役を殺さずに、食いしばっている様子を表現する。浄瑠璃がぐぐっと迫ってきて、人形を持っていても持ちがいがある役です。
幼い主君への忠義と、1人の母親としての悲嘆。張り裂けそうな女の心情を、時には抑制した動きの中から表現する……非常に難しい、だからこそやりがいのある役なのですね。
文楽を観たことのない方や、観てみたいけど尻込みしている方は、多いのではないでしょうか。そんな方のために、紋寿さんに「文楽鑑賞のポイント」をお伺いしてみました。
- やはり、人形の動きでしょうね。人形遣いが、人形の動きで物事を表現するのを見ると、文楽を観に来たかいがあるのではないでしょうか。それに、その場面場面に合わせてそれらしく語る太夫と、三味線の柔らかさ・厳しさ。男の人形が大暴れする時は、太夫の声も大きいですし、三味線も荒い。それに合わせて、人形の動きもますます大きくなる。三業が合わさって、初めて文楽になるのです。
文楽には、公家や武家が登場する「時代物」と、江戸の町民世界を描いた「世話物」があります。時代物と世話物で、初心者に観やすい演目はありますか?
- どの外題でも、入りやすい場面はありますが……あえて言うなら、有名な近松門左衛門作の世話物『曾根崎心中』が観やすいのではないでしょうか。初心者の方はこのような一般的な演目から観始めて、浄瑠璃や三味線の音色を聞き、人形の動きを見て、徐々に文楽を覚えていくのがいいでしょう。始めから難しい演目を観たら、頭が混乱してしまいますからね。
文楽の上演形態には「通し」と「見取り(みどり)」があるそうですが……?
- 筋書きが分かるように、つなげて上演するのを「通し」、色々な外題の「ここが良い」という場面を組み合わせて上演するのを「見取り」といいます。最初は「通し」をご覧になるといいでしょうね。初心者の方が「見取り」の一場面だけを観ても、筋書きが分からないでしょうから。
ただ、今は舞台の左右に太夫の語りの字幕が出たり、イヤホンガイドを貸し出したりしているので、初心者にとっても大分観やすくなっているようです。文楽を観る若い女性の方も、増えているのだとか。
そういえば、宇崎竜童さんのロックに合わせて『曾根崎心中』を上演する『ロック曾根崎心中』や、シェイクスピアの名作『テンペスト』を文楽にした『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』など、新たな試みもあるようですが……これらは若い方が文楽に入るきっかけになるのでしょうか。
- 「文楽は難しい」と言って、若い方々が文楽を観に来てくださらないので、どうしたらいいか思案しておりました。ちょうどその時、宇崎さんから「自分の歌に合わせて、文楽の人形を遣ってもらったらいいのでは」という「ロック文楽」のご提案がありまして。
ただ、文楽は伝統芸能。ロックに合わせて型を崩すことはできません。「やはり、文楽の筋に合ったものでなければ」ということで、演目は『曽根崎心中』になりました。最初、渋谷のライブハウス「ジャンジャン」で上演したのですが、「宇崎竜童のロックに合わせて、文楽の人形を遣うなんて! 一度観に行こう」と、びっくりしたお客さんが大勢いらっしゃいました。1日2回公演で、定員280人くらいの会場に、3倍近い1000人くらいのお客さんが並んでいましたからね。
若い方はなかなか文楽を観にいらっしゃらないけど、宇崎さんと一緒にやれば、「文楽ってどういうものだろう?」と興味を持ってくださる。それが私の狙いでした。
その後、国立劇場でも2日間4回公演を行ったのですが、超満員でした。あれは嬉しかったですね。
実際、ロックファンが文楽を観るようになり、文楽ファンがロックを聞くようになるという、相乗効果があったそうです。
- 『ロック曾根崎心中』をきっかけに、若い方が文楽を観てくださるようになった。その時の方々が文楽を好きになって、ずっと観続けてくださっています。
今後、『テンペスト』のような欧米の物語を文楽にしたり、他のジャンルとコラボレーションしたりする予定はありますか?
- それが、新作文楽はなかなか長続きしないのですよ。やはり馴染みのお客さんは、古典的な外題を観たがるようです。
また、他のジャンルと合いそうで合わないのが文楽。以前、お琴に合わせて人形を遣うという企画があったのですが、紋十郎師匠が「お琴は間が長いので、つかみどころがない。これは人形遣われへんで」と。長唄や常磐津なら合わせられるんですけどね。
機会があれば、『ロック曾根崎心中』が再演されるといいのですが……古典的な演目を大事にしつつも、新たな演目へのチャレンジも観てみたいものです。
最後に、読者へのメッセージをお願いしました。
- 実際に劇場に足を運んで、文楽を観ていただきたいと思います。やはり、生の舞台と映像とは違う。映像では人形の重みも分かりませんし、太夫の鋭い怒りや泣き、三味線の荒々しさや柔らかさも分からないのです。
もし、観ているうちに文楽のファンになられて、「この人形、どないして持ってんのやろ?」と思われたら、楽屋に行って人形を持たせてもらうといいでしょう。
確かに、実際に持たせていただくと、人形の重みや存在感が直に伝わります。「あんなに軽やかに動かしていたのに、実はこんなに重いの?」と自分で感じることが、次に文楽を鑑賞する上での良い経験となるかもしれません。
研修生の育成制度があるため、人形遣いや太夫、三味線弾きとして文楽に携わる若い方も増えているようです。観る側も、若い方がどんどん増えるといいですね。
- 私自身は中学校にもほとんど通っていないのに、奈良女子大学や島根大学などで、文楽の講義をしています。文楽を知っていただくためには、私が実際にお話しをして、聞かれる方との対話にならないと何も伝わりません。ですから、講義に行くのです。
嬉しいことに、生徒の方々が、大阪や東京に文楽を観に来てくださるようになりました。島根大学の生徒さんなどは、貸し切りバスで大阪まで観に来てくださって。そうやって観てくださるうちに、趣味が高じて本当に文楽のファンになる方も出て来るんですよ。
紋寿さんは文楽の講義を通じて、あちこちに文楽の種をまいていらっしゃいます。紋寿さんのまいた種は、着実に芽を出し始めているようですね。
- 私は講義の時によく言うのですが……世界中どこの国に行っても、人形劇はあります。しかしながら、日本の文楽の人形のように、1体の人形を3人がかりで動かす国はどこにもないのです。海外の方が文楽の人形を見ると、「えーっ!」と、びっくりされますよ。「何を暗号にして動いているの? 3人でイヤホンでも付けて、命令を聞きながらやっているのか?」と(笑)。
主遣いの振りに自然に合わせて、左遣いも足遣いも一つの役に溶け込んでいってこそ、1体の人形が動くのです。こんな人形劇は、日本だけにしかない。私はそれを育み、伝えて行きたいのです。「文楽は日本だけにしかない人形劇なのか!」と気付いた方に観に来ていただけると、文楽に関わる者として嬉しいですね。
3人で1体の人形を動かし、人形を通して「情」を伝える、日本特有の伝統芸能「文楽」。今後も「観る側」として、文楽を大切に育んでいきたいものです。